32歳二児の母が初恋をサザエに出来た話

 

バリキャリ独身婚活アプリ会員2年目の友人に「幸せを確実に築いていてすごい」とよくあるアレをアレあれるタイプのアレです。「ちょっと待ってくださいよ〜。夫の浮気も借金も義母からの新興宗教勧誘も義父の嫁いびりもアレにしてんすよ。歯ァ食いしばって道を平にしてんのがわからんかね」なんて返事はせず「うふふ〜。」と花柄ワンピース着ながらランマーを振動させる毎日です。上下ピストンする機械に翻弄される日焼けした上腕筋を見ているとなんともたまらん気持ちになります。アスファルト叩き割れるほどやってもらえないかしら。

 

 

ジョブスのおかげで世の頭の中が丸見えになったように思う。こんな性癖や自分の趣味趣向なんて勝手にやっていれば良いのにみんながみんな脳をさらけ出す。金のメロンパンよりパッカーンと丸見え。恥ずかしくないのだろうか、アンタもアタシも、むしろそれが良いのだろうか。

 

とはいえ、そんな変態なみなさんに救われる人もいるわけで。私がその1人である。望んでもないのに突然現れた露出狂のおかげで知らないものと出会い、知らない世界を知り、自分の変態性を見出せたわけだ。ありがとう、世の中のロングコートおじさん。おかげで私が何かに気付いたような、新しい何かに目覚めたような不思議な心持ちがするよ。

 

これわわ進化と呼ぶのか退化と呼ぶのか分からないけれど、青春のモヤモヤとか漫画や映画なら美化されちゃうところを作品でもなんでもない物達がいかにもと言う顔で説明してくれる世の中はやはり便利で有益に感じる。

 

 

そのひとつが青春時代のメンタリティ。私は20年間も青春の思い出を引きずっている。苦くて苦くてたまらない。20年も前の事を今だに思い出すだけで胸がギャンッと縮まる。変な汁も出る。思い出になるどころか腐敗して異臭が年々強くなるような気さえする。

世の人はどうやって過去と向き合っているのか長年不思議だった。若さは恥だ。みんな持ってる。あまりに目も当てられない代物はどう持ったら良いのか。無理矢理押し込めてゴミ袋に突っ込みたいのに、それでも捨てきれずウロウロと持ち歩いている。そんな今がさらに恥ずかしい。かといえ堂々と宝箱に入れる度胸など私にはない。ドロドロとした液体が内側の赤いベロア生地を濡らすのが目に見えている。

 

 

そんな時に出会ったひとつのことば。インターネット大海に浮かぶひとつの流木のようにそいつはふらりとやってきた。

 

 

若い頃はそれこそまだ未熟で自分の気持ちもその扱い方も伝え方さえ拙いものだ。

そんな未熟な人間ばかりが集められた世界ではすれ違いや勘違いによりコミュニケーションは難しい。

 

 

 

とかなんとか

そんなことを書いてあった

 

そうか、あたい、未熟だったのか。

 

 

 

まわりのみんなも、未熟だったのか。

 

 

 

 

そんな風に自分としてではなく、未熟な存在の体験談と思うとなんだかえらく可愛い気がしてきた。

 

 

苦くてグロくて目も当てられない思い出たちも、優しい気持ちで見守ってみたらなんだかたまらなく愛おしい。なにこれ、もしかして、愛?

 

それともサザエとビールの関係?

大人になって苦味も珍味も楽しめるようになったということ????

 

 

 

大人って包容力と許容範囲を広げて広げて自分にも優しくすることなのね!!!

 

 

 

どこかの誰かの変態性が、あの頃の私と今の私を救ってくれた。そんな経験をまた私の変態性がインターネットの波へと送り出してゆく。

 

もはや恥の上塗り。秘すれば花ではなかろうか。粛々といじらしく恥ずかしがっていた方が良かったのかもしれないが、ジョブズが作ったこの世界。踊る阿呆に見る阿呆、同じアホなら踊らにゃ孫正義

世阿弥よりも現世を狂い舞い踊る私は踊っているのか踊らされているのか。